奈良・川上村フォーラム報告「基調講演」

「スローライフ・フォーラムin水源地のむら川上」(2013年11月24日)のフォーラム「むらに暮らす」の基調講演報告です。
●講演テーマは「森・水・人――悠々」
●神野直彦さん(スローライフ学会学長・東京大学名誉教授)
―――これは講演の抜粋要約です。お話は本の紹介から始まりました。――――

「『パパラギ』という本はスローライフのバイブルです。今から100年ほど前、サモアの酋長がヨーロッパに行ったときそこで見たパパラギ(文明人という意味)がどういうことをしているのかをサモアの部族の人々に対して語った、それをそのまま本にしたものです。サモアの酋長、はびっくりしています。『パパラギは拝金主義、金のことばかりいっている。金がない、金がないと。もうひとつ驚いたことには、時間に対する奇妙な態度。時間がない、時間がないといっている』というんですね」
「この本の中の一部を引用すると『時間は静かで平和を好み、安息を愛し、むしろの上に伸び伸びと横たわるのが好きだ。パパラギ(文明人)は、時間がどういうものかも知らず、理解していない。それゆえに、彼らは野蛮な風習によって時間を虐待している』こういうふうに指摘しています」
「最後にパパラギ(文明人)を救うにはどうしたらいいかと、『パパラギの小さな丸い時間機械(時計)を打ち壊し、彼らに教えてやらなければならない。日の出から日が没するときまで、一人の人間には使い切れないほどのたくさんの時間があることを』と、結んでいます。パパラギ(文明人)が時間を敵として、時間を虐待して生きていくことを批判し、時間というのは人間にとって友達なんだということを説いているのですね」
「これは自然と全く置きかえても構いません。『時間は静かで』というところを『自然は静かで、平和を好み、安息を愛しているんだ』『パパラギは時間というものをどういうことか知らない』『パパラギは自然がどういうものかも知らず、理解もしていない』といっているわけです」
「つまり自然のリズム、これは命のリズムといっても構いませんし、太陽のリズムといっても構いません。この太陽のリズムに応じて生きていくということを、パパラギは知らないんだと。この自然のリズム、これを「悠々」といっていいかと思います。「悠々」というのはゆっくりということと同時に、命と同じように次から次へつながっていく悠久に通じるものですね」
「パパラギは自然を敵だとみなし、時間を敵だとみなしているわけですが、これに対して自然は友達なんだ、そして、時間は友達なんだというふうに考える人々を何というか。『むらびと』といいます」

「『むら』というのは何か。それは、文化人が、人間と自然とが共同して生きていく場で、命を育む場であり、命と命が交流する場だといっていいですね。それから人間と自然、自然は森。森は、太陽のエネルギーを集めて命を集積する場のことを私たちは森と、こういうふうに呼んでいます。それと人間の命。水は人間の体内でいうと血液に当たりますので、ぐるぐるぐるぐる回しながら流れとして命を育んでくれる」
「ここが重要な点ですが、ヨーロッパのコミュニティーというのは人間と人間との命の交流しかありません。人間と人間とのつながりしかないのですが、日本の『むら』というコミュニティーは全く違います。人間と同時に森と水が同じ『むら』の構成員として参加しているというのが日本の『むら』の特色です。日本のコミュニティーという特色ですね。人間と同じ資格で自然、森と水が参加してくれる。これが『むら』の定義です」
「ヨーロッパのむら、コミュニティーに行けば、教会がひとつあってその周りに人々の暮らしがあります。日本の『むら』はそんなことはありません。自然が『むらびと』と一緒に参加しますので、それぞれの地区ごとに神社も仏閣もたくさんあるんです。祈りの場、これもパパラギが忘れていることです。祈りというのは自然への感謝ですから、人間と自然との命の交流
の場です。しかも命というのは自己再生力、自分で再生していくものです。自然も同じことですね。生きている自然は必ず再生をしていきますし、人間の社会もみんな再生していくわけです」
「命の源泉ですから、水を注ぐと森が育ち、森が生まれると、そうすると水が湧いてきます。そうすると、その水が湧いたものが雲になって、天から水を降らすと同時に大地からも水を降
らせてくれる。そこで人間の生命が出ていくわけですね」
「川上の水を飲み、森の中で暮らす。これが最もいいことだということを日本人は忘れ始めたのですね。山にどんどんどんどん登っていって、山の神をたたえると同時に川の神をたたえながら自然とともに生きていく、これが『むら』という生活だといっていいかと思います」
「まだ時間が足りないといっているのがパパラギです。パパラギの思想は何か。時は金なり。タイム・イズ・マネーという考え方になっているわけですね。それに対して『むらびと』はそういうことを考えないのです。『むらびと』は人間と人間との触れ合い、それから人間と自然との触れ合い、この中に幸福を見出していくということですね」

「“お・も・て・な・しといっていますが、あれは人間と人間が触れ合うことではないんですね。東京のパパラギのおもてなしには、表はなくて裏があるんですね。それはお金が欲しく、つまり、お金が欲しくてこびを売っているおもてなしであり、だから、表記も誤表記をしょっちゅうしておもてなしをしているというのがパパラギのおもてなしです」
「森と水と人間、これが共同で意思決定をしながらやるところが『むら』というところですけれども、私たち人間には“所有欲求、つまり外在するもの人間の外にあるもの、これを所有したいという欲求と、“存在欲求”人間と人間が触れ合いたい、人間と自然とが触れ合いたいという欲求と、2種類あります」
「何か外在するものを所有したいという“所有欲求”が満たされると、人間は“豊かさ”を実感します。それに対して人間と人間、人間と森と水と触れ合うということをすると、つまり“存在欲求”が満たされる、触れ合いによる欲求が満たされると“幸せ”を実感するんですね」
「私たち人間はそろそろその事実に気がつき始めて、今までは“所有欲求”を満たすために“存在欲求”を犠牲にしてきたんだけれども、“所有欲求”はあるけど欠乏という状況はある程度満たされたので、これからは“存在欲求”、つまり“幸せ”を追求していこうと。こういういう動きは、世界各地で起きています。『むらびと』たちは金で何ができるかということをしないで、命を使って何ができるかということを考えるので、パパラギと全く違うということです」
「ヨーロッパの自治の原点がコミュニティーであるのと同じように、日本の自治の原点は『むら』です。そして、むらの寄り合いには、ただ単に『むらびと』だけではなく、森と水も参加して、自然とともに生きる。自然とともに生きますので多層的で、ひとつの『むら』といっても、幾つもの小さな地区、自然とともに生きている幾つもの小さな地区が集まって『むら』になっている。これが日本の特色であり、自治もそこから生まれるのだと思います」
――――全文はの後ほど改めて掲載いたします。――――