身近な史跡がおもしろい!9月の「さんか・さろん」報告です。


9月の「さんか・さろん」のゲストは「新宿史跡めぐりの会」会長の来栖幹雄さん(スローライフ学会会員)でした。
来栖さんはかつて公務員だった頃、防災訓練で徒歩出勤した折、「都内は歩くとおもしろい」ということに気づき、史跡にもだんだん興味をもったそうです。
そして昭和50年代から今の会に参加、以来、勉強を重ね新宿区を主に都内7000箇所の史跡を巡り歩く会の中心となりました。
今回は、“「江」からたどる身近な史跡”というテーマで、話題のNHK大河ドラマ「江」に関係する史跡を紹介されました。

来栖さんのお話のお相手、質問係りで、NPOスローライフ・ジャパン事務局長の野口智子が参加。「来栖さんが横丁のご隠居、私が話し相手のまち娘?ということで・・・」
以下、来栖さんのお話の抜粋です。
「お江は二代将軍秀忠との間に二男・五女をもうけけました。 二人の男子が家光(竹千代)と忠長(国千代)です。二人の兄弟の人生は明暗にわかれました。」
「家光の乳母・お福はたいへんな実力者で、三代将軍決定の際、家康に直訴し、将軍は家光に決まったといわれます。その後、天皇から春日局の称号を賜ります。春日局は大奥総取締となり大奥の制度を整備するなど、将軍となった家光を助けました。」

「東京・湯島の「麟祥院」には、春日局の墓があります。墓石には四方に穴が貫通していて、死後も政道を正すためといわれています。「春日通り」という名前の由来です。」
「一方、忠長は家臣を手討ちにしたことを理由に、甲府へ蟄居を命じられられました。その後、さらに領地全てを没収され、高崎城に幽閉され、さらに幕命により28歳で自害します。」

「忠長の乳母・お清は、忠長死後、尼となり昌清尼と称し忠長の供養に生きました。そのお墓が、東京・本郷の昌清寺にあります。」
「二人の乳母のお墓は、直線距離で800メートルの近さ、こんな史跡が都内の身近なところにあるわけです。同じ兄弟で全く違った人生となった二人、増上寺に眠るお江はどんな想いだったのでしょう。今の六本木あたりで、江ののべ送りがされたともいわれます。」



このほか、様々な史跡を楽しく紹介されました。質問や感想も次々と。参加者からは「来栖さんの案内で史跡ウォークの体験をしたい」と声があがりました。