スローツーリズム分科会/2日目

翌28日(日)は抜けるような快晴。今日は先ず、早池峰山の麓の重湍渓(ちょうたんけい)に、紅葉狩りに行くことにしました。が、途中急遽、遠野市役所のK氏の実家のリンゴ園に立ち寄らせていただくことになりました。
K氏の82歳になるお父さんがわざわざ出てきていただいて、「ジョナゴールド」や「早生のフジ」の木々の間をかくしゃくたる足取りで案内してくださいました。以前の半分ぐらいまで栽培面積を減らされたそうですが、それでも、機械化が難しいこの仕事を、ほぼ一人で毎日丹精されています。頭が下がりますね。
そのうちK夫人が、樹上で熟しているプラムを目ざとく見つけました。「どうぞ」の言葉に厚かましく、全員がひとつづつもぎ取って、その場でいただきましたが、すごく甘く
て美味しい。Tさんが山葡萄の木が植わっているのを見つけ、これも大層甘かったようです。前夜の観月会で、大根の山葡萄漬けが供されましたが、この後訪れた「遠野ふるさと村」の支配人、立花さんが我々のために用意してくださった手作りの山葡萄ジュースともども、今回の旅で大変印象的な味でした。

Kさんのリンゴ園を後にして、早池峰山(はやちねさん)の麓に広がる重湍渓(ちょうたんけい)に向かいました。重湍渓は、渓流に沿って自然の広葉樹林が広がる紅葉の名所です。駅から遠く、バスの便も良くないので、車がないと、訪れるのはちょっと難しいところですが、奥入瀬のように観光客がワンワン入ってこないので、のんびり散歩すると、大変気持ちのよいところです。

K夫人は都会育ちの割には草花に大変詳しい人で、「あら、○○だわ」とか、「こんなところに××が咲いてる」と言いながら、そのうち渓流のあちこちに落ちている朴(ほう)の大きな落ち葉を拾い始めました。「帰ったら、朴葉味噌でも作ろうかな」「お肉を載せると、美味しそうね」旦那様の血圧が、また上がりそうです。
さて、パーティーが開けるほど朴葉も集まったので、「馬の里」へスポーツ流鏑馬の見物に行くことになりました。今日もどんどんチャンネルが変わります。
遠野の八幡宮では、毎年9月15日の例大祭で、神事としての流鏑馬が行なわれます。一方、今年第2回目を迎える「全国スポーツ流鏑馬競技大会」では、直線走路の通過タイムにクラス毎の制限時間が設けられ、また、的に矢が命中した場合でも、中心円とその外側で配点が異なるので、スピードと正確性の両方が求められます。
競技はC、B、A、特Aの4クラスで競われ、私達が着いたときは、丁度Bクラスが始まるところでした。地元は勿論、青森、十和田、群馬などから20数名の選手が集まっていましたが、驚いたことに、半数はうら若い女性です。神事の流鏑馬では、普通狩装束をまといますが、ここでは、狩衣風、水干風、武士風等実に多彩で、きらびやかです。特に若い女性選手は、宝塚の男役のように颯爽としていて、盛んな声援を受けていました。
走路は190M、幅2.5Mで、60M間隔で3つの的が設けられています。秒速10メートルぐらいのスピードで疾駆する馬上から、次々と矢をつがえ、的を射抜くのはなかなか難しく、3つの的全てに的中させる人は、それほど多くありません。なまじっかの乗馬経験では、両手を離すこと自体がおそろしそうで、落馬しないようにするのが関の山です。

遠野は、昔から馬産の盛んなところで、土俗信仰や民話の重要な主役も馬です。しかし、農耕馬がトラクターに取って代わられ、馬との共生が当たり前だった曲り屋も、今ではすっかり少なくなっています。それでも、乗用馬の育成・競り市や競走馬の訓練などは、営々と引き継がれています。スポーツ流鏑馬の試みも、伝統の馬文化を守っていこうとする地元の熱意の表れでしょう。
スポーツ流鏑馬を観戦したあと、旅の締めくくりに、遠野ふるさと村のまぶりっと衆を訪ねました。
ふるさと村では、広い敷地に6棟の南部曲り家が移築され、昔ながらの里山が再現されています。ここは単なる博物館的なテーマパークではありません。遠野の農村に広く見られた父祖伝来の生活様式が、人の手によって脈々と伝えられています。遠野では「守る」ことを「まぶる」と言うそうですが、これをもじって「まぶりっと=守る人」という言葉が、村開設のときに創られました。「遠野の文化と伝統を守る人」というほどの意味す。現在23名のまぶりっと衆が、ここで馬を飼い、農作業をし、わら細工や竹細工等の手仕事をしています。訪れる人のために、遠野伝統の食事を提供したり、昔話を語ったりもしています。
23名のまぶりっとの内、男性11名、女性12名の陣容ですが、最も若い人が59歳、最高齢は82歳、平均70前後とのことす。皆さん、かくしゃくとしておられて、顔の色艶もすこぶるよろしい。まぶりっと衆の訥々とした話振りには、自然の摂理と恩恵を経験的に知り尽くした人だけが持つ、謙虚な気持ちと深い知恵を感じます。
最大の課題は、後継者の育成だそうです。記録保存のため、村内で行なわれているあらゆる行事や作業は克明にビデオ収録されているそうですが、実際に人を介して伝承して行かなければなりません。昔のように一子相伝がごく自然体で行なわれていた時代と異なり、今は伝承そのものに大変な困難が伴います。「それでも、守り通さないとな~」・・・まぶりっとの長がぽつんと漏らしたひと言が印象的でした。

<終わりに>
今回「風の丘」「女性技の達人展」「観月会」「リンゴ園」「重湍渓」「スポーツ流鏑馬」「ふるさと村」と経巡ってきて、共通のテーマは『伝承』ということではないかと思います。文化は生き物ですから、形を変えながらも、人々の日常生活のなかに営々と生き続けてこそ、伝統文化といえるのではないでしょうか。今回われわれが接したものは、「農」に基本に置いた遠野の伝承のさまざまな姿でもありました。
昭和の高度成長時代以降、マスプロ的手法があらゆる産業分野に広がり、私達の生活の隅々にまで浸透しています。その中で得たメリットもある反面、多くの貴重なことが失なわれつつあります。このバランスの崩れを立て直し、それぞれの地域が個性的に、豊かに生き延びてゆく手立てを講じないと、伝承が博物館の中でのみ行なわれる危惧さえあります。遠野はそんなことを考えさせるところでもありました。

最後に、今回の旅で、我々の気儘と気紛れに辛抱強くお付き合い戴いた遠野市役所の皆様や地元市民の皆様に、この紙面をお借りして、厚く御礼申しあげます。有難うございました。”