9月の「さろん」は、丹波篠山から黒豆のお話でした。

9月20日、第121回目の「さんか・さろん」は、兵庫県丹波篠山市より。市内にある「神戸大学丹波篠山フィールドステーション」から、特産物である黒大豆について丹波篠山市役所企画総務部部長の竹見聖司(たけみ きよし)さんに語っていただきました。

 

丹波篠山市は、2019年3月『スローライフ・フォーラム㏌篠山』の開催地。当時は「篠山市」で、竹見さんは全国でも稀な市名変更にご尽力され、フォーラムの担当者でいらっしゃいました。その後「丹波篠山市」になってからの取り組みは、2020年12月の「さんか・さろん」で報告して下さいました。ご自身のお話は、スローライフ瓦版の「街角から畦道から」のコーナーに、初めての丹波黒栽培記を連載していただきました。

今回は、公私の境なく『黒大豆、55歳の挑戦と丹波篠山の挑戦の先に』と題して、それらのお話をじっくりと聞かせていただきました。

 

~~~~~先ずは、丹波篠山市のおさらいから。航空写真で見ると、町の中心地が篠山城跡で、その周りに市街地があり、その外側に田園があり、平地の向こう四方は山に囲まれた盆地である。

デカンショ節が有名で、祭り・市民マラソン・丹波焼き物祭り・ぼたん鍋・商家群めぐりなど、人気の観光メニューもある。フォーラム後も移住・定住のニーズが増えた。特に15年前から始めている集落丸山での取り組みは、一棟貸ホテルが人気で稼働率もよく、利益を上げている。関係人口が増え耕作放棄地もなくなった。内閣府からも注目され、全国の古民家再生のモデルとなっている。

農作物は黒豆・丹波栗…。和菓子の原料となる固有の「山のいも」はほぼ生産が途絶えてしまった。

 

黒大豆は令和3年2月に日本農業遺産に認定された。歴史は古く1730年の料理本にその記述がある。丹波篠山の特産物になった背景には、地形とムラの関係がある。低い山に囲まれた盆地は水不足と国の減反政策で、思うように米が作れなかった。そこで、ムラは話し合い周り番で稲作は3年に一度。残りの2年は『犠牲田』となって稲作より水を使わない畑にして黒豆栽培をするという仕組みを続けた。この仕組みが黒大豆の収穫高をあげた。

特に『丹波黒』はここ20年位、枝豆が全国的な人気で、毎年10月5日を解禁日に定めて、2~3週間を旬として売り出している。

私は、今年、55歳で父の畑を受け継いで黒枝豆栽培を始めた。これがなかなか大変で、種を蒔いて直ぐに鳩に食べられてしまった。被害を受けた時のやるせない思いは、日ごろ鹿・猪・猿の被害に悩む農家の苦労が身に染みて分かった。

~~~農作業の様子は画像を見ながら紹介~~~

作業をしながら畑で見る景色は、毎回悦びがある。小さくしゃがんで作業をすると、大豆の緑の葉の向こうに青空が見え、大豆の素になる小さな花が咲いている。職場にだけ居たら気づかなかった感覚だ。市では市役所職員に副業として『黒まめサポーター職員制度』を推奨し、今年から10名が参加している。農家の苦労を味わうことは市役所職員としても大切なことだと感じている。

 

毎年10月初旬、丹波黒豆の解禁日として、3日間だけの"味まつり“イベントを開催してきたが、コロナの影響でここ2年は"味まつり月間"とした。すると10万人だった観光客が60万人になり、”コロナ禍からぼた餅“だ。平成27年に登録された「日本遺産」のデカンショ節やユネスコ創造都市ネットワークでも、現代の丹波篠山の特色あるものを新たな歌詞にして、”特産物“に育てたい。「ワクワク農村みらいプラン」など、まちの活気につながる創意工夫のチェレンジを続けていきたい。~~~~

 

参加者との意見交換では、父の農業を継ぐ苦労。犠牲田の仕組みが継続されているのが素晴らしい。丹波篠山市へ市名変更で効果はあったのか?“丹波黒”を固有のブランドにできないものか、大学との連携は?…などの質問や感想が寄せられました。黒豆の素朴な質問も多く、竹見さんへの宿題も渡せた様です。29名の方にご参加いただきました。

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講演部分のみこちらのYouTubeでご覧いただけます。