我々の水使用は最小限度であるべきだ!

奈良の“むらの魅力を紹介する連続さろんの2回目は、水に関わる様々な取組をされている尾田栄章さん(NPO法人渋谷川ルネッサンス代表)に、「地球の水・日本の水・奈良の水」というテーマで語っていただきました。

「土地は地球上にいくらでもあります。しかし、使える土地はごく限られている。それは水があるかということです。地球上にはいくらでも水があるように見えますが、97.5%は海水。地球上の人が、一人で1日に使える水の量を計算すると、15k㎥です。食べ物を作るだけでなく、あらゆる面で水を使いますが、すべて合計して15k㎥しかない。水というのは本当に限られた資源なのです」
「氷河を流れ出るスイス、アルプスの川のように急流なのが、日本の川の特性。国土の特性は、国土面積の10%が河川の下流に展開した沖積平野で、そこに人口の半分が生息し、資産の4分の3が集中しています。したがって、災害をいかに緩和するかということも我々にとって大事なテーマになってきます。日本の川は少し雨がふらなければ渇水になり、たくさん降りすぎると洪水になる。今まさにこのことが日本列島を襲っているわけです」

「大和平野は水のない盆地のため、吉野川の水をもってくることは悲願でしたが、江戸時代に御三家の一つの紀の国の水をもってくることは不可能でした。大正に入ってから動き始めましたが、何度も頓挫し、昭和24年になってようやく基本計画が合意され、その場が京都祇園演舞場のプルニエ会館だったことから“プルニエ協定”というしゃれた名前になりました。奈良の水を考える上でこの協定は非常に重要で、その後、“十津川・紀の川総合開発計画”という形で動き出します。この事業によって初めて大和川の水が相当程度安定化しました」

「時代を遡って万葉集の中に、藤原京の木材を平城京で再利用するために川を使って運搬したという、古代の輸送がそのまま謳われています。しかし、和泉川から上り山を越えないと佐保川におちない。どのようにして越えたのか。ここには二つの池があることからパナマ運河を連想しました。いくつかのダムをつくることで水を生み出し、その水で河の閘門を維持する。和泉川の支川と佐保川との間に古代の和製パナマ運河があったというのが、私の仮説です」
「人間だけが自然界から切りはなした形で、自分の目的のためだけに使っています。そういう使い方の量は少なければ少ないほど良いはずです。われわれが地球上にはびこったおかげで、他の動物は大迷惑をしている。だからこそ、我々の水使用は最小限度であるべきだ、ということです」
ーーーーーー尾田さんの万葉の時代に想いを馳せる“和製パナマ運河”のお話、そして我々はなぜ“節水”すべきなのか。多分野に及ぶお話は、水を使うたびに思い出してしまう、深い内容でした。”