瓦版2025.3.11第730号 中村桂子さんら11人のコラム掲載。

 「3.11」から14年後の未来に来ました。あの日の午後2時46分、どこで何をしていましたか。足元はどれほど揺れましたか。生中継された黒い津波の映像を見ていましたか。あの大震災によって、日々の暮らしに何か変化がありましたか。きょうは、犠牲者への鎮魂とともに、それぞれに教訓を噛みしめる時間を持ちませんか。いずれ来る次の災厄に備えて。

======================================

写真がご覧になれない方は、ホームページからどうぞ。

http://www.slowlife-japan.jp/

感想を下記までお寄せください。

slowlifej@nifty.com

『緑と絆の木陰』

20Wの脳を思い切り活かしませんか

  中村桂子(JT生命誌研究館名誉館長 スローライフの会共同代表)

 偶然とはいえ3月11日の号を書くことになり、緊張しています。先日、東電の福島第一原発から取り出された小さな小さなデブリの写真が新聞に載っていましたが、これを通して見える処理問題は先がまったく見えていません。その後日本のあちこちで次々起きている自然災害への対処の問題もあります。ところがあの時の「3.11を、暮らし方、社会のありようの転機にしなければならない」という思いは、どこかへ行っているような気がします。問題はたくさんありますが、AIを取りあげます。

 今やAIブームで、国の科学技術予算もこちらに大きく動いています。AIについては問題がたくさんあり、これから丁寧に考えていかなければならないと思っていますが、最初に一つだけエネルギー問題をあげます。マイクロソフト社がスリーマイル島の原発を一基、自分のものにしたことからも分かるように、今のようなAIの使い方をしていたら、データセンターでの電力消費を支えるために日本でも原発がいくつも必要になるでしょう。たとえば地震の研究のために、これまで蓄積した大量のデータを処理するという時にはAIは不可欠でしょう。

 でも、学校でチャットGTPを使う時、先生も子どもも自分が大量のエネルギーを使っていると意識していないのではないでしょうか。子どもたちはまず外で遊び、自分で問題を見つけ、考えることが大事です。あなたの脳は、20Wの電球1個分でたくさんのことが考えられるのですから。花粉を運んで生態系を支えているミツバチの集団は、乾電池より少ない電力です。しかも、人間を含めて生きもののエネルギーは再生可能型です。

 付録:イーロン・マスク氏が、効率化のために米国官僚の退職勧告をするという会見で、足もとにチェーンソーを置いていました。ひど過ぎる! 友人のAI研究者が、マスクはとても頭のいい人だと言っていましたけれど。

<あっちこっちで多事争論>

東日本大震災のストーリー

  岩崎久美子 (東京都 スローライフの会会員)

 日常が突然壊れることがある。3.11の日。

 その日、ヨーロッパからの帰国便で、早朝、羽田空港に着いた。研究仲間たちと「お疲れ」と言って明るく別れ、空港からバスに乗って午前中に自宅に到着。春めいた青空ののどかな日。何も変わらない日常に戻り、「やれやれ」とホッとする一日が過ぎるはずだった。

 そんな中での出来事。東京でもかなりの揺れがあり、尋常ではないことはすぐにわかった。テレビをつけると映画のシーンのような映像が映し出された。

 東京での暮らしが長くなり、故郷は日々遠くなっていた。しかし、耳慣れた地名がテレビで連呼されると、幼いときの時間が蘇り、現実を受け入れられずに、ぐちゃぐちゃの気持ちになったことを思い出す。

 非日常の事態に直面すると、日々の生活が「合理的」という言葉でいかに杜撰(ずさん)に営まれてきたかを悟る。災害時には、一人一人が裸一貫で生きていくことの底力が問われるし、地域にある資源で生き延びられるかが重要になる。実家の近くには地域の人が保有する井戸があり、ありがたいことに水には困らなかったという。

 自然災害は、地域の豊かさの本質を暴き、現代人が失いつつある生存本能を喚起させるものかもしれない。(写真は震災時に活躍した仙台市の実家の近くの井戸)

 

3.11に思う

  佐藤義孝 (東京都 スローライフの会会員)

 今年の1月1日に南海トラフ地震の30年以内の発生確率が70%〜80%から80%に引き上げられた。前回から7年経過したことからの改訂だったが、やはりドキッとする!

 過去の大地震の発生間隔から計算されており、巨大地震をサンプルに取ると間隔は長くなり、それより規模の小さい大震災まで含めると短くなると言う。

 ところで、東日本大震災の復興のシンボルと言えば、あの「平成の万里の長城」(写真上)でしょう。岩手県から福島県の400Kmの海岸線に構築された高さ10mを超える防潮堤。総予算は1兆円。東北大震災の復興予算40兆円と比べればそれほどと思われるかもしれないが、巨費であることには変わりはない。

 設置は震災直後の2011年6月に中央防災会議で決定、地元の反対で設計変更も多かったが完工。プロセスも含めて釈然としないことの一つに、前段の「今後30年以内の地震発生確率」(地震動予測地図、地震調査委員会公表)がある。

 震災後、東北大震災の震源域となった日本海溝(トラフ)の発生確率は当然0%、リセットされたのである。その地域に巨費を投じて、急いで、反対意見の多い中、「長城」を築く必要があったのか。

 2万人を超える犠牲者に対する「2度と」と言う「誓いの象徴」のようにも見える。

 片や80%の南海トラフ地震エリアは、津波避難タワー(写真下)がいくつか建てられたが、未だ無防備に近い。だが、なぜか防潮堤の計画は聞かない。

 地震発生直後、津波避難地区の病院、介護施設、1人暮らしの高齢者等に津波タワーへの避難は厳しいのではないだろうか。

写真上:岩手県宮古市田老漁港の防潮堤、後方には津波で破壊されホテルと高台移転した住宅(佐藤写す)

写真下:静岡県西伊豆町の海辺の町中に立った津波避難タワー(つぼい写す)

 

フクシマ2025年 誰もいない街角で」 双葉町

  金井紀光 (東京都 写真家)

 年に数回取材に訪れる福島県の双葉駅周辺の住宅地。今年の正月にも訪ねる。住む人のほとんどいなくなった一角の消防団詰め所に描かれている壁画だけがやたら明るく笑っていた。

もう一度「あの時」に戻って

  前原民子 (東京都杉並区、岐阜県高山市 スローライフの会会員)

 2011年の福島原発事故後、3月14日〜4月8日の約3週間、関東では「計画停電」が行われた。我が家も夕方5時から8時まで、電気が使えない夜を何度か経験した。キャンプ用のランプを灯し、ラジオでニュースや音楽を聴きながら食卓を囲んだ。お風呂の燃料はガスだが、電気のスイッチパネルで沸かすため早めにお湯を張り、真っ暗な浴室に蝋燭を立てて入った。「あの時」は楽しかったなあと子どもたちが話すことがある。楽しかったなんて不謹慎かもしれないが、少なくとも子どもたちは電気のない生活を不便と思わず、むしろ楽しんでいた。

 確かに「あの時」がターニングポイントだったのだ。当時、職場では一定の電力量を超えると、冷暖房の利用を控え節電を促すアナウンスが流れていた。だが、喉元過ぎればのたとえ通り、最近では、電車や商業施設の冷房がキツくて凍えそうな時さえある。熱中症対策もあり一概には言えないが、「あの時」の経験をみんな忘れてしまったの?

 「蛍の光と窓の雪で文読む」のは極端にしても、北欧のようにおしゃれな間接照明を使い、電気の光を落として夜を過ごすのもいい。時にはランプの灯で「おうちキャンプ」と行こう。原発再稼働なんてもってのほか、ほどよく、電気を使わない生活はできるはずだ。

大震災と観光

  舟越隆裕 (栃木県日光市 珈琲CoCom)

 東日本大震災の起こった直後の4月に、観光協会に入社しました。

 もちろん、被災地は想像を超える大変な状況だったでしょうが、観光地も然りだったのです。

 日光でも、いつも賑わう世界遺産周辺に観光客がひとりもいない状況が続きました。この”0(ゼロ)”の状況から、観光を立て直していくのは、前例もないことで、大変でしたが、やりがいのある仕事でした。

 観光関係者が一体となって、いろいろな仕掛けを試みましたが、大きな転機となったのは、2012年の東京スカイツリーの完成でした。ちょうど世界遺産周辺が、スカイツリーの高さ(634m)と同じ標高、中禅寺湖がふたつ分と同じ標高!

 これを話題にさまざまな企画が展開されたのです。それ以来、徐々に復活し、2017年には、震災前を超える観光客数を記録しました。

 誤解を招く表現かもしれませんが、過去に例のない大災害は、ある意味、日本中が被災者だったのではないかと実感します。これからも大地震などの災害が起きないことを祈ります。

 

豪雪の厳しさが身にしみる

  古川伝 (福島県郡山市 スローライフの会会員)

 下の写真は郡山市内から望んだ安達太良山です。高村光太郎が「智恵子抄」に収めた「樹下の二人」という詩で、「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」と詠んだ山です。雪を頂いた山容は神々しくもあるのですが、今冬はただ「美しい」と讃えてばかりもいられない状況です。

 日本各地で豪雪被害が相次いでおり、安達太良山の北側のエリア(写真の山の裏側)でも2月半ば、大規模な雪崩で温泉旅館3軒が数日間、孤立し、他県警の応援ヘリで40人が救出される事態となりました。

 福島県内では「38豪雪」以来、実に62年ぶりに災害救助法が適用され、会津地方を中心に19市町村が対象となりました。会津若松市では観測史上最大の積雪(121㌢)を記録し、除雪が追い付かずに日常生活に大幅な支障がでました。県内では、落雪や除雪作業中の事故などで1月に3人、2月に2人が亡くなり、重軽傷者は55人を数えています。

 総務省消防庁の1月末時点のまとめでは、今冬(昨年11月~)の雪による全国の人的被害は死者27人、けが人は519人。すでに昨冬1シーズンの総数(死者22人、けが人405人)を上回っています。新潟で語り継がれる「雪地獄 父祖の地なれば 住み継げり」という句を思い出さずにはいられません。

 郡山市に住んで6回目の冬ですが、昨年まで暖冬小雪続きだったので、一段と厳しさが身にしみました。毎年行っていた冬山登山も自粛しました。青森県や日本海側の大変さに比べれば、泣き言など言ってはいけないと分かりつつ、いつも以上に春が恋しい冬でした。

 大雪の一因として、温暖化による海水温の上昇が挙げられています。雪の降る量やエリアを人工的にコントロールするのが難しい以上、やはり地道に温暖化防止に取り組むしかない、ということでしょうか。

 

太田民夫さんの「さんか・さろん」を聴いて

  大山皓史 (千葉県松戸市 弁護士)

 歴史的に由緒ある鞆の浦は、栄えた往時の勢いが失せ、現代社会の賑わいからも取り残され、だらりとした時間だけがゆっくりと過ぎる地のようです。しかしその「鞆はいま」、金儲けを加速度化させている現代の資本主義社会の強者の生き方に追従することなく、金儲けのためには非効率的な存在として切り捨てられるような弱者も同じ人間として温かく包み込んで共生する生き方、それが芽生え始めているとのこと。鞆のしなやかでつよい(スローライフの実践的な)先駆者に、共感します。

 何をもって理想の社会と考えるか。ひとまず大きく区分するならば、①自分の経済的利益を最優先にする社会(その極が新自由主義思想=市場原理主義に主導された現在のマネー至上主義社会)、②お金で買えない(お金に優先する)価値があることを理解し(経済的損得に優先して)他者や自然環境と調和して共生しようとする社会、に分けることができると思います。

 そして、理想の未来社会は、①ではなく、(スローライフの精神と親和的な) ②の先に、見出せるのではないかと直観しています。社会を①から②へ改革するには、一人ひとりの市民が自分の利益だけではなく、他者や自然環境にも配慮する意識改革が必要ですが、それは心に「ゆとり」がないと始まりません。そうすると、人々が心に「ゆとり」をもって暮らせる社会を作るのが先決になりますが、そのためには、どのような社会制度として構築するか、私たち一人ひとりが主権者として深く「考える」ことから始まるのではないでしょうか。

 

公民館ぽい? 洋品店の想い (下)

  入山寛之 (群馬県富岡市 洋品店いりやま代表)

 毎週木曜日は「パンの日」。友人のパン屋さんが届けてくれる50個ほどの焼き立てパンを お店で販売しています。

 11時ころパン屋のあみちゃんが配達してくれます。それと前後して近所のおなじみさん(70~80代・以下おねぇさまと呼びます)が3人やってきます。

 パンの日はこの3人が主役です。パンの近くの椅子に腰掛けて、天気の話、血圧の話、韓流スターの話など会話がとまりません。そうこうするうちに近所のお店の若奥さんおーちゃんが「はーい、生存確認に来たよ~」と訪れ、おねぇさま方は「残念でした まだ死んでねーよぉ」と返したり、「ありがとねぇ」とハグしたり。私が手が離せないと、パンの説明やおすすめの食べ方の案内、時には会計の補助までもしてくれます。

 中・高生の地域での体験学習の話し相手になったり、市外の大学生の取材を受けたりもしてくれます。そして12時になると、「あー楽しかった。じゃぁまた来週ね~」と、かっこよく帰っていきます。出かける場がある、待ってる人がいる、異世代と触れ合う、誰かの役に立てる、そして何より笑っておしゃべりできる。そんな事が地域のみんなや自身の健康寿命を延ばし、地域の豊かな生活を担ってくれる。そんな地域を支える場として地域の店は必要だと思いつつ、みなさまのお出かけをお待ちしております。

 

『スローライフ曼荼羅』

年に一度、思い出すなんて

  野口智子(ゆとり研究所 スローライフの会共同代表)

 その日、新宿・四谷の事務所で、揺れの後、正気に戻ると大きなロッカーが50cmほどもずれていました。電車は即止まり、タクシーなど居ません。私は着物姿でしたが大行列に混じって自宅まで歩き続けました。途中、六本木の外車ショールーム、巨大なスクリーンで真っ黒な大津波の映像を見ました。「この先、日本はどうなるの、私は何をすればいいの?」その時のことを、年に一度思い出す自分を恥じながら、当時のブログを読みました。

「地震にあって」2011年3月14日

https://noguchi-tomoko.com/post-0-449/

「善悪同居」2011年3月20日

https://noguchi-tomoko.com/post-0-448/

 

■■つべ小部屋■■

あの日から14年後の未来

  つぼいゆづる (スローライフ瓦版編集長)

 今号の巻頭言に「あの大震災によって、日々の暮らしに何か変化がありましたか」と書いたのは、変わらない現実へのいら立ちの裏返しです。

 「3.11」を受けて、朝日新聞論説委員として繰り返し書いてきたことがあります。それは「大震災は時代を画す」という話です。関東大震災は都市計画の先鞭をつけ、阪神・淡路大震災はボランティア元年。さらに被災者生活再建支援法のように公金を被災者に渡す制度も生みました。では、東日本大震災で世の中はどう変わるのか、と。

 そこに込めた思いは、「脱原発」でした。1F(東電福島第1原発)の爆発事故により、安全神話は崩れ、すべての原発が停止し、首都圏では計画停電まで実施されました。原発は、もう懲り懲りと多くの人が思ったはずでした。ドイツが明確に舵を切ったように、海外でも「脱原発」の潮流が勢いを増しました。

 それが、いまはどうでしょう。岸田政権が原発回帰のアクセルを踏んでも、世論は大騒ぎすることもなく、この2月に閣議決定した第7次エネルギー基本計画では、「可能な限り原発依存度を低減する」としてきた方針が削除されてしまいました。再エネと同列に原発を「最大限活用する」と位置づけ、「次世代革新炉の開発・設置」と明記されても、人々は粛々と電気代を払っています。

 地球炎暑化を防ぐ手立てとして原発が見直されてしかるべき、という意見はあるでしょう。しかし、使用済み核燃料の再利用計画は頓挫しているうえ、その廃棄場所も決められない現状は、原発が持続可能ではないことを如実に物語っています。この「不都合な真実」に目をつむった上で、すでに根拠が崩壊している「原発で電気代が安くなる」などという無責任な言説がいまだに語られているのは、どうしたことでしょう。小欄720号(2024年10月8日)に書いた「地雷原の上で踊る国」は悲しすぎます。

【訂正】前号(2月25日号)の「危うし、日本学術会議」で、「発端は2023年」とあったのは「発端は2020年」の誤りでした。訂正します。

 

<編集室便り>

▽3月18日の「さんか・さろん」は農楽里ファームの遠藤夏緒さん。

 長野市大岡地区で農園と民宿をされている、遠藤夏緒さん(農楽里ファーム代表、スローライフの会会員)のお話。健全なお野菜や農家民宿に興味のある方、ぜひ「さろん」にご参加ください。どんなファームなのか、どんなお考えなのか、ゆっくりのんびりうかがいましょう。

農楽里ファーム http://www.norari-farm.com/

日時:3月18日(火)19時からzoomで

タイトル:「農と人、人と人、人と自然の出会いの場」

講師:遠藤夏緒さん(農楽里ファーム代表)

お申込:3月15日(土)までにメールで。 slowlifej@nifty.com

参加費:会員は1000円(年間分3000円支払いの方はそれで結構です)、一般2000円。支払い方法は申込時に問合せ下さい。

詳しくはこちらからhttps://www.slowlife-japan.jp/2025/03/03/%ef%bd%93-338/

(PR)クオリティソフトから・・・

【たまな商店】実は人気のコーナー「在庫処分市」賞味期限が短いもの、賞味期限切れ、パッケージ破損などアウトレット商品が色々。訳ありだけど勿体ないのでご利用いただけると嬉しいです。 https://tamana-shop.jp/outletzaiko/

====

〒160-0022 東京都新宿区新宿2丁目12番13号

新宿アントレサロンビル2階「スローライフの会」

メール slowlifej@nifty.com 電話090-7433-1741(野口)

 

※ご連絡はなるべくメールでお願いします。

※活動詳細はホームページからご覧ください。

http://www.slowlife-japan.jp/