2013年1月22日さんか・さろん、増田寛也会長

1月22日、スローライフ学会会長の増田寛也さんから恒例の「新年メッセージ」があり、またスローライフ活動の昨年の報告と今年の方針も話し合いました。 <増田寛也さん講話>昨年末に安倍さんが首相になりガラッと変わりました。3年前の2009年9月に民主党が政権についた時ほどの違和感ではないですが、私にはまだなれない感じです 年末のクリスマス、大晦日の除夜の鐘、新年の初詣を通じて、日本人の寛容な宗教観といいますか、和を尊ぶ民族性を感じました。その一方、アルジェリアの殺伐とした事件を見ていると、根っこは宗教対立で理解を超える根深さがある。日本人の理解や想像力をはるかに超えたところで起きている。世の中から宗教対立はなくならない。東西冷戦を乗り越えたかに見えたが、宗教の問題は日本人の理解を超えることがこれからずっと続くだろうと思います。 大鵬関が亡くなられました。どの新聞も「巨人・大鵬・卵焼き」で、一時代が終わった、と。ある種感傷をこめて「これで残り香のようなものが完全に消えてしまった」といったまとめ方もあった。大鵬の活躍を知っている最後の世代の方々が、自分たちの青春が過ぎていったということを自覚するという意味でそういった表現をされているのかと思います。まさに「三丁目の夕日」に出てくるような時代で、日本が上がり調子になっていく時代、巨人があり、大鵬がいて、生活の中には卵焼きがあった。確実に極めて日本的なほんわかとしたものが消えていってしまったように感じさせる出来事でした。大晦日は紅白歌合戦を見ます。ほとんど知らない歌ばかりですが、美輪明宏さんの「ヨイトマケ」の歌を聞きました。家内と7歳違いますが、ヨイトマケの意味がわからなかったですね。時代が違うのかなと思いました。ヨイトマケの唄を50年ぶりに聞いて、時代がひとつ回ったなと感じられました。 最近では、個人個人で夢や目標、ビジョンを懸命に思い描くということはあると思いますが、国全体、公的なところで長期のビジョンを、知恵を出し合って練るということがほとんどなくなりました。先のことではなくて当面の問題、この1、2年のことをどうするかということは話をする。企業も、株主に対する業績評価で良い成果をもたらさなければいけないということで、スピードが大事で短期間の成果が求められております。世界的に官・民を問わずこうしたことが言われています。21世紀になってますますその傾向がつよくなってきました。将来的なビジョンよりも短期のことを達成しなければいけない。 そのためには、強いリーダーシップを行使しろということが求められる。それはトップダウンであり、カリスマ性を持ったリーダーの出現を求める時代になってきたようです。その背景にはグローバル化が進み、国境を越えて大競争の時代となり、地域もなにも競争に勝ち抜かなければいけない。少し前は、新自由主義を象徴的に言われましたが、その先は、官から民だということでした。小泉政権の頃がそうでしたが、規制緩和をされた民間が最適解を競争の中で出していく。官から民へどんどん移して、そのために規制緩和で官の世界を民間に市場開放し、競争する。国全体も小さな政府にする。小さな政府という部分で伝統的な地方分権論者と意見が一致しますが、国を小さくし、ほとんど民間開放します。公的な部門で民間に移せないものはある。それは国ではなくて地方に移すということでした。新自由主義的な人も強力に地方分権をおっしゃるけれども、考えている地方分権と少し違っていて、強い都市が伸びていくような地方分権であり、自治体どうしで格差を是正するような、仕組みで言えば地方交付税は汗をかかない制度なので、それは止めよう、それぞれの地方が自助努力をしようということでした。これがグローバル時代を勝ち抜くための方法である。そのためにも、分権は必要だということでした。それが昨年あたりから、官主導が戻ってきた気がします。民間がやってもうまくいかないための疲弊が、世界的に起こっている。日本は公共事業を復興とからめたり、笹子トンネルの落盤事故もあって、公共事業が復活してきていますが、世界的にも各地で官が主導したファンドのようなものを作ることで、経済を回していこうとしています。ヨーロッパにもギリシャ、スペインに危機があり、アメリカも多少景気が回復してきたとは言え、オバマさんの二期目も厳しいものがある。中国はもともと国家社会主義的なところもあるので、中国も含めて、中央主導で、トップダウンのカリスマ性の強いリーダーシップを待望しているような感じがします。 これが良いことなのかどうなのかといいますと、これは少しちがうのではないかと思います。大阪の桜ノ宮高校の体罰の問題がありました。体罰の問題は、根深い気がします。議論を見ていると、首長も教育の中身については言えないので、予算執行権をかざして、体育科だけ入試を止め、スポーツにウエイトを置いた普通高校にするということになった。ワーッと言い出して良い解決をしたということで、このまま終わってしまうと、あの高校だけでなく、相当深く浸透しているだろう体罰の問題をどのように考えたら良いかということに繋がらず、高校の入試問題の適否だけに問題がすり替わってしまったような気がします。 一人スーパーマン的な人がいると、自治体の中でストップをかける人がいなくなる。独善的な人は、良いことをやる場合もありますが、しばらく経つと、周囲は怖くなって何も言えなくなりいろいろと問題が出てきます。トップダウンの強いリーダーシップがハマれば良いけれども、往々にしてそうでないことがあるように思います。 日本は東日本大震災という危機的なことがあり、ヨーロッパはEUという壮大な理念のもとに国家統合、通貨まで統合するということ自体、相当な強い意識のすり合わせの上でできたわけですが、戦争、石炭等のエネルギーの共同体から、長い歴史の上で出来上がってきたEUをもっと進化させるかという時に、あのような危機が出てきた。アメリカも国家統合の危機。オバマさんの二期目が大変だと思いますが、せっかく「チェンジ」ということで、まとまったものが4年間でやっぱり分かれてしまいました。時代の要請がスピードスピードで当面の対策を求め、しかも上からということが、この1、2年非常に強く出てきているように思いますが、こういう時だからこそ、ひとりひとりの能力をどのように発揮させていけば良いのか、ひとりひとりの感情をどうコントロールしながら融和できる世界を作り上げていくのかといったところに、もっと知恵をだしていかなければと思います。 スローライフ学会では去年、高岡でフォーラムを開催し、スローライフ逸品を集めました。なるほど工夫しているな、と思えるものがたくさん出てきていました。地域の力や宝は地域の人たちが一番よく知っているので、地域の人が主役で、彼らに任せていろいろなことがやれるようになれば良いと思います。一方で、地域には当たり前過ぎて見えない、気づかないこともある。「がんばらない」というのも岩手の外から見ると新鮮なことなのかなと思いました。地域の人だから見えないという部分もある。あくまでも地域の人たちが主役であり、そこにいるひとりひとりの能力が最大限引き出されるようなことにつながれば良いですね。フォーラムを開催することで、その気づかないことに気づいてもらえれば、良い力が発揮されるだろうと思います。もちろん、はじめから「気づかないだろう」というような思いで行っては傲慢であると取られるかもしれません。謙虚で、慎ましやかでありながら、互いに何が気づかないところなのかを、知りあいながら、一人ひとりが、地域地域が前に向いて行くということが必要だと思います。 大きなビジョンや目標が、議論しなくなったし、そういうことは、今の時代に不要だ。時代が大きく変わるんだから、そういうことを言っても時代が違うというような、貶めるようなことになっているように思います。目標について熱く議論することがもっともっとあって良いのではないか。それを人に押し付けるのではなく、その兼ね合いをわきまえた上で熱い議論ができる場があればよいなと思います。「さんか・さろん」や地域でのフォーラムが、時代が忘れているものに多くの人に気づいてもらえる場になれば良いなと思います。 3.11直後に、東北の人たちが世界に見せてくれた振る舞い、規律があり、お互いに助けある姿。極限状態でみせたものが本来日本人が本来もっているものではないかと思います。悪く言うつもりはありませんが、ハリケーンのカトリーナやスマトラ地震の後に出てきたもとは違うことを、東北の人たちが示してくれました。震災直後に現地に入った外国メディア、中国メディアまでもがそういう日本人の姿を伝え、見方が変わったところがあると言われています。日本の地域地域にそういうことを示してくれる人たちが多くいらっしゃる。そういうところに行って勉強しあい、お互いに気づかないことに気づき合う。そういうことに今年一年、スローライフ学会が動いていけると良いなと思っています。 暮れ、正月に思ったことを申し上げましたが、ぜひ、今年のスローライフ学会の集いにも大勢のみなさんにお集まりいただければありがたいなと思っております。 (質疑)川竹大輔:官主導に戻ってきている中で、地方から発信して解決できることがあると思うが、その旗印となる人がいない。石原さん、橋下さん、名古屋の市長さんと大都市の人ばかりだ。増田さんが知事時代に高知の橋本とやっていたような形で、地方で旗頭になる人を誰か思い当たらないか。増田:お答えになるような人はいない。田中茂:地方の予算編成で、残念なのは、東日本の震災や不況があり、この中で何か新しい動きが何か出てくれば日本が変わると思っていたが、予算がじゃぶじゃぶ出てきたために金を取りに行くことに全力をつぎ込むことになっている。国から10兆円の金をぶんどってくることに最善の努力を払うようになり、以前よりおかしくなっている。我々はこの5年間で必ず赤字になるだろうことを見越し、保育料や施設料を値上げしたり非常に苦労して進めてきたが、蓋を開けたら、東京都も税収が上がっている。今後のことを考えると必ず厳しくなることがわかっており、日本全体がその方向にシフトする千載一遇のチャンスだったのに、震災と政権が変わったことで、金を取りに行く方向になってしまった。増田:公共事業を中心に政府の財政支出を組んでいると、自治体はそれを取りに行かなければ損だという意識になり、その取り合いが始まる。安倍政権は3本の矢と言っている。ひとつは日銀の金融緩和で、ふたつ目が財政出動、3番目が恐らく規制緩和。成長戦略だが、これは時間がかかるので、当面は財政出動の部分ですね。笹子トンネルの天井も落ちたことで、公共事業をやるために、借金をして10兆の金を積んだ。それで今の話のようなことが起きる。小渕政権の頃の平成10~11年頃に同じような風景があった。その時も各自治体が予算を獲得する競争のようになった。上水道の水道管も古くなっている。少しずつなのでわからないが、個人の家でもかなり漏れているはずで、一気に更新しなければいけない。そうしたものにあてるとか、次の世代まで使えるものに使うようにしなければいけない。大きなお金がつくと、ついつい目新しいものに使う。それをいつか見た風景にしないようなことが必要だろう。山下靖典:田中さんにお聞きしたい。世田谷の区長は保坂さんというユニークな方のようだ。区長のイニシアチブは発揮されないのか。田中:3.11や脱原発については明確なものを持っていらっしゃるが、社会の構造をどうしていくかは、なかなか難しい。優先順位をどうするかということも、中にはいってみると実際には難しいだろうと思う。この財布の中身を生活保護に使うのか、都市整備に使うのかということを攻められる。増田:保坂さんは市民派でやってこられた。菅さんもそうだったが、いろいろとご苦労があったろう。保坂さんは、基軸を市民に置きつつやっておられるのか。田中:住民参加と情報公開のあたりだが、こちら側のトップになってみると、区民の意見を聞くのと議会を運営することは相反する。どうバランスをとるのかは相当苦労されている。外環も下北沢も反対の立場で当選されたが、両方から攻められる。武重邦夫:自分は活動屋で、今村昌平が師匠。一緒にプロダクションを作って50年になる。今村さんの一連の作品を見ると、日本人はなんだろうということがテーマだったと思う。「我々は何か」ということ。日本人論でもある。今村さんの作品に中央を舞台にしたものはない。私個人としてはこの15年間くらい、ドキュメンタリーを作ってきた。それも地方だ。私が始めた1993年頃、川島さんにお会いした。朝日の政治記者だったのを捨てて地方分権をやられているということだったが、あの頃はピンとこなかったが、何かを求めていく中で同じことをやり始めた。岩手の「命の作法」という作品から始まって、山古志とか、総称すれば「ディスカバリー・トゥルー・ジャパン」だ。本当の日本とは何かを問いかけている。それをなぜ地方に求めるのか。生き残ったものが地方にはまだ残っている。山古志で山が飛んでしまった中、71歳のおばあちゃんが田んぼを再生する、そのエネルギーは何か。大地というものに立脚しながら生きている。田んぼをつくるのは経済活動だが、個という観点からクローズアップするとどこか人間に共通するものにぶつかる。今村さんとつくろうとしていた天才画家・中村正義の生涯を描く「父をめぐる旅」をやっと映画化、いま上映されている。渡辺均:長野県の人口5200人のまちで、まちづくりをやっている。37億円の財政のまちに、県内でもトップ20に入るくらいの大きな土木建築の会社が3つある。2000所帯のまちで3社にかかわっている人が非常に多い。3.11後、「もう一度絆を」という気運はあったが、公共事業で儲かって当面食えるねということで、もっとひどくなるのを実感している。 4月に議会選挙があるが、出馬しないかと声をかけられている。過去3年間の競争入札の受注額がすべて一緒。当選したらこれを大きく変えたい、出ようかと思っている。民から官への揺り戻しはすごくでかく、今日のお話とのギャップは非常に大きい。この隘路をどう断ち切ればよいのか。 昨日飯館村の菅野村長さんの話を聞いた。村民にいう言葉と外に向かって言う言葉が違うので聞いてきてくれということでフォーラムを聞きに行った。「私の仕事の7割はメディアとの戦いだ。結論ありきで、裏付けを取りたい取材ばかりだ」ということだった。しかしながら、メディアに頼らざるを得ない。村長は除染は効果があるといいたい。私の知り合いは「とても住めない」と言っている。なぜ村長はそういわざるを得ないのか。村民は帰れない。帰りたくない。村長は帰れる。これをだれがどう整理するのか。その矛盾だけが見えたというのが実感だ。増田:長野の栄村と背中合わせになっている新潟の津南町の町会議員選挙に当選した25歳の女性がいる。彼女もUターンだが、3.11で被災し、このままではふるさとが見捨てられてしまう、ということで立候補した。日本の選挙はハードルが高く、立候補しただけで職を失ったりするので気軽には言えないが、動かなければかわらない。動いてみるというのもある。”