スローライフ・フォーラムinとなみ野全体会基調講演

2010年11月12日~14日のフォーラムのうち、最終日「全体会」の内容をここに載せます。多少のテープおこし間違いがありましたら、ご容赦ください。
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スローライフ・フォーラムinとなみ野 全体会
日時 2010年11月14日(日)13:30~16:30
会場 チューリップ四季彩館(砺波市)
主催者代表挨拶
石井 隆一(富山県知事)
(石井) ***冒頭欠落***筋道を立てながら、折り合いをつけながら、そして、共に発展していく、成長していくことを考えざるを得ない時代になったと思っています。そこで、どうしてもともすれば、スピードを重視する、効率を重視するこういうことにならざるを得ない面もあるのですが、同時に、時々立ち止まってじっくり足元を見る、ゆっくりとゆったりとした時間の流れの中で、もう一度自分を振り返る。また、地域を振り返る。そして人間の幸せとは一体何であろうかと考える、こういうことが実はこれまで以上にまた求められている時代になっているのではないかなと思います。
今は亡き筑紫哲也さんは、確か『スローライフ――緩急自在のすすめ』というご本をお書きになったように思っております。一方で、スピードや効率化、先見性を求められる、しかし反面で、ゆったりゆっくり足元を見つめる、そして、地域の在り方、社会の在り方、私たちの生き方を考える、このような時代になったなと思います。
そういう意味で、今日こうしてスローライフ・ジャパンの皆さんにお世話になって、このフォーラムを開催できることは本当にうれしいことです。この後、基調講演をしていただく神野先生は、皆さんご承知のとおり東京大学の名誉教授で、今の新政権の中、政府税制調査会の専門委員会の座長をやっていらっしゃる大変重要な方です。また、前の岩手県知事で総務大臣までお務めになった増田さんもおいでです。お一人お一人名前を挙げるのは差し控えますが、本当にそうそうたる皆さまにこの富山のとなみ野においでいただきました。今日のフォーラムが有意義なものになりますように、また、お聞きしますと、昨日も分科会、一昨日も分科会で本当に多彩な議論を積み上げての今日のフォーラムであります。私も後ほどパネラーに加えていただいて、つたない話もさせていただきたいと思います。今日一日が有意義な日になりますように、また今日のフォーラムを通じて、いろいろ厳しい環境の中にある日本ですが、「ゆっくり、ゆったり」という視点も大切にしながら充実した日本にする、充実した人生が送れる世の中にするということにつながっていけばうれしいと思っております。
ひとつ皆さん、よろしくお願いします。どうもありがとうございました(拍手)。
(司会) ありがとうございました。
既にこのフォーラムは昨日、一昨日から始まっておりますが、今の知事のご挨拶であらためて全体会の開会とさせていただきます。
地元の歓迎挨拶
上田 信雅(砺波市長)
(司会) 地元の市長さん、お二人にお越しいただいています。砺波市長の上田信雅様、南砺市長の田中幹夫様。地元を代表して上田市長から歓迎のご挨拶をいただければと思います。お願いいたします(拍手)。
(上田) 皆さん、こんにちは。本日は「富山新時代―『住まう』を考える」と題し、「スローライフ・フォーラムinとなみ野」の全体会がここ砺波市で開催されることに当たりまして、関係市の市長を代表しまして、地元の砺波市長でございますが、皆さま方を心から歓迎申し上げます。ようこそお越しいただきました。
砺波市と南砺市に広がる砺波平野は清流庄川の流域に開かれた扇状地であり、名水が潤す豊かな大地ははっきりとした四季の移ろいに包まれて、色鮮やかなチューリップや黄金色の稲穂をはじめとしたさまざまの恵みをもたらすことから、日本の農村の原風景であると言われております。特に、カイニョと言われる屋敷林の中、切妻屋根のあずまだちの家屋が碁石を散りばめたように点在する散居は、春から夏は萌える緑、秋には黄金、冬には純白のじゅうたんが敷き詰めたように、四季いろいろの美しい景観を提供してくれております。大変貴重な宝であると思っております。
一方、東海北陸自動車道が全線開通いたしまして、中京地域との連携が深まりました。また、北陸新幹線が目の前にして、今こそさらに地域力を高めてまさに砺波新時代とも言うべき未来に向けて、確実な将来ビジョンを持つことが大変大事であると考えているところでございます。そこで砺波市では、過日、砺波市観光振興戦略プランを取りまとめ、一つ目は山漁村の保全と活用、二つ目にはチューリップフェアとチューリップ産業の振興、三つ目には中京圏などとの市民交流の推進、四つ目にホスピタリティーのあふれるまちづくり、この四点を柱に据え、暮らしてよい、訪れてよし、このようなまちづくりを標榜いたしているところです。また、先人が大変な苦労をして守り育ててこられた散居の景観を次代に着実に伝え、そして、地域資源として全国に発信していくべき、現在、景観計画の策定を進めているところです。
「『住まう』を考える」をキーワードとして開催される本フォーラムは誠に時宜に適したものであると考えております。古き良き歴史と時代の躍動感が人々の暮らしの中に脈々と息づき、日本有数の住み良さを誇るこのとなみ野において開催される本フォーラムが、盛会に進められ、より良き成果を得ることができますことをご祈念申し上げ、あらためて皆さま方への心からの歓迎のご挨拶とします。今日はどうもありがとうございます(拍手)。
(司会) 上田様、ありがとうございました。
では、お三人、下に降りていただきまして、ちょっと模様替えをさせてください。
基調スピーチ「となみ野に見る緑と絆と」
神野 直彦(東京大学名誉教授)
(司会) 続いて基調スピーチに移りたいと思います。模様替えの間、ご案内申し上げます。
今日、この会場には、地元の方、となみ野の方はもちろんのこと、富山県の各地から、そして、私どもスローライフ・ジャパンと兄弟分に当たるスローライフ学会の方々が全国からお越しです。京都からお越しの方、秋田、山口、群馬、あちこちからこのとなみ野に向けてお越しいただきました。昨日、一昨日と分科会にご参加されて、そして、今日またここにご着席の方々も多くいらっしゃいます。お手元の袋の中に、この後の神野先生の基調スピーチのレジュメがございます。それを出してお待ちください。タイトルは「となみ野に見る緑と絆と」と書かれたレジュメが袋の中にございますので、どうぞお出しください。
神野先生については、ただ今、知事からご紹介がありましたので、もうそれで十分ということで、私からはご紹介申し上げませんが私どものスローライフ学会の学長でもあります。
神野直彦先生、基調スピーチをよろしくお願いいたします(拍手)。「となみ野に見る緑と絆と」でございます。
(神野) ご紹介にあずかりました。神野でございます。よろしくお願いいたします。
お手元のレジュメをご覧いただきまして、1枚おめくりいただいて、最初のところに今日お話しする結論を書いておきました。私はいつも同じ結論ですので、何度もご覧いただいているかと思いますが。
スウェーデンの画家、スティーグ・クレッソンの言葉をそのまま書いております。
「第二次大戦後、スウェーデンは豊かな国となり、人々が「繁栄」と呼ぶ状況を生みだした。
私たちは、あまりに簡単に幸福になりすぎた。
人々は、それは公正であるか否かを議論した。
私たちは戦争を回避し、工場を建設し、そこへ農民の子どもが働きに行った。
農業社会は解体され、私たちの国は新しい国になったが、人々が本当にわが家にいるといった感覚をもてたかどうかは確かではない。
1950年から60年に至る10年間に、毎日300戸の小農家が閉業するというスピードで、農業国スウェーデンが終焉した。
人々は大きな単位、大きなコミューン(市町村)を信じ、都市には遠い将来にわたって労働が存在すると信じた。
私たちは当然のことながら物質的には豊かになったが、簡単な言葉でいえば、平安というべきものを使い果たした。
私たちは新しい国で、お互いに他人同士となった。
小農民が消滅するとともに、小職人や小商店が、そして、病気のおばあさんが横になっていたあの小さな部屋、あの小さな学校、あの子豚たち、あの小さなダンスホールなども姿を消した。
そういう小さな世界はもう残っていない。
小さいものは何であれ、儲けが少ないというのが理由だった。
なぜなら、幸福への呪文は儲かる社会だったからだ」。
幸福になるということは儲かる社会をつくることだ、ミダスの呪いと申しますが、最初に金(きん)を貨幣としてつくり上げたエーゲ海のミダス島のことからミダスの呪いといいます。スウェーデンはここでとっくに反省してかじを切り替えているのに、日本は依然としてこのミダスの呪いに取り付かれているとお考えいただければいいかと思います。
お手元をおめくりいただきまして、ここでは「となみ野に住まう」ことを考えるというのが今日のシンポジウムのテーマです。私は忙しくて準備もできずに、また、となみ野その他の知識は中学校の地理の知識しかなく、間違っているようなことを申し上げるかもしれませんが、ご容赦いただければと思っております。
もちろんここはチューリップの町で、石井知事と私は大学のときからの同級生ですが、石井知事が私にチューリップの球根を送っていただきました。私よりも私の父が喜んでいます。そのチューリップの球根を育てて、そして私の家の庭といいますか、玄関のところからずっと植木鉢で並べておいたのです。日本の社会は崩壊していますから、ある朝、気が付いたら、前の晩にはあったのですけれども、朝、起きてみたらないのです。植木鉢を持っていくのも大変だろうと思います。どうして盗まなくてはいけないのかという話を砺波市長にしましたら、砺波市長が急いで球根をお送りいただきました。
このことを昨日、富山県庁の職員の人にお話ししたら、「え、先生、それは美談として新聞で報道されていますよ」。それは何か間違って、「チューリップを盗まれてそれを補填した」という話が美談として新聞報道されたようで、「いや、それは僕の話ではないのではないか」と申し上げておきました。
そういうとなみ野でもって「住まう」ということを考え、しかも、先ほどもお話がありましたが、「日本の農村の原風景を見ながら考える」、この意味はどういうことなのかということからお話をさせていただきたいと思います。
最初の1のところに書いておきましたが、「となみ野に住まう」ということは、「水」と、正確に言うと水の流れと、それから「風」というのは大気の流れです。大気の流れと「緑」と共に生きること、これは日本の農村の原風景だと思います。
確認をしておくと、となみ野の住風景というのは、水田の大海に浮かぶように散居とカイニョ。カイニョは繰り返し皆さんご説明されていますので、「カキニョ」がなまったものです。「カキ」は垣根、「ニョ」は、茂るとか豊かだという意味ですから、垣根が非常に豊かだという意味だと理解してもいいかと思います。さらにその周りには、ヨーロッパの森とは違って人々が足を踏み入れることができないような森があるということです。踏み入れるところは里山ですから、踏み入れることができないような森がある、これが日本の農村の原風景です。
イメージとしてそうでない風景というのは、ヨーロッパの美しいところの農村を思い浮かべてください。フランスでもイギリスでも構いません。見渡す限り畑が波打つようにゆったりとなっているわけです。ただ、これは牧草が中心の畑で、ゆったりと波打つようになっています。
今日はそこまでにしておこうと思いましたが、もう一つ、先ほど砂漠の話がよかったという話があったので砂漠を付け加えると、砂漠の美しいのも見ていただければ、砂漠も砂が波のように小高く山を形成しています。これは重要です。
というのは、私はもう徐々にほとんど目が見えなくなっているのですけれども、私にとって頼りになる言葉は、星の王子さまが砂漠にたどり着いて、言う言葉は「大切なことは目に見えないんだよ」と言います。その後、続いて言います。「砂漠が美しいのは井戸が隠れているからだよ」と説明します。砂漠は枯れ得ず、地下水が深いわけです。時々出てきてオアシスになりますが、枯れ得ず、そして出てくる井戸は非常に深くまで掘らないとならないという風景と比べると、このとなみ野の風景というのは、地下水の水位が高いと言った方がいい、砂漠の方が低いと言った方がいいか、どこからあれするかですが、地下水の水位が高くできています。
昨日、高岡市長と高岡市商工会の会長さんが全国商工会の会長さんなので、一緒に食事をしながらお話をしていて、その中学校の知識でその水位が非常に重要なのではないかという話をしたら、「先生、それは違いますよ」と。富山県、つまり市長や商工会の会長さんが小さいときから教わってきたのは、「これは前田藩の政策だと書いてあります」「郷土史のテキストブックにみんな書いてありますよ」「前田藩が敵から攻め込まれるときに、散居してあった方が石高が小さく見えるというのと、攻め込まれるときに有利だということや、いざとなると水を入れてしまえば、攻めにくい」などといろいろ説があるのですが、「前田藩の政策ですよ」と言われたのです。「あ、そうなのか」と思っていたら、今日頂いたパンフレットを見ると、やはり水位といいましょうか、表土の厚いところに家をつくり、と書いてあるので、そちらの方で今の三つの風景を説明させていただきたいと思います。
つまり、日本の農村というのは、基本的に扇形をした平野の上に成り立ち、地下水の水位が非常に高いところで農の営みが行われているというイメージでこれからお話をさせていただきたいと思います。
2番目を見ていただきますと、一体住まうということは何なのか、住まうとは何なのかを考えるのがこのシンポジウムですし、実はこのシンポジウムが終わっても、住まうというのは一体何なのか、よく分からないというのが普通の話なのですが、まず当面、常識的なことから言えば、一体「住まう」という言葉はどういう意味があるのかということから考えていくのが手順だと思います。
「住まう」は、「住ま」まではこれは「住む」の未然形です。未然形は「ない」を付ければいいわけですから「住まない」。連用形は「住みます」。五段活用なので、終止形が「住む」と「う」になって、仮定形が「住めば」。「あいうえ」、今度は五段活用なので、もう一回未然形に戻ります。「う」という助動詞、意思を示す「う」という助動詞を付ければ「住もう」となって、「お」の段になって五段活用と言っているわけです。
そうすると「住む」という助動詞に「う」を付けると「住もう」となるはずで、「住まう」というように助動詞を付けた途端、もう一つの未然形が二つあるわけですが、「ない」を付ける方ではなく、なぜ「う」という動詞が「ない」という方の、「住まない」という方に「う」が付いてしまうのか。
これは、助動詞の「う」に、もう一つありまして、奈良時代にはよく使われたのですが、「う」は「続けること」「反復すること」という助動詞がございます。こちらが未然形に付くのです。つまり、「うつろう」という言葉の「う」がそうです。「人の心はうつろいやすい」というときに使う「うつろう」がそうですが、反復継続を示す助動詞が付いているということになるはずです。
そうすると「住まう」ということは、「住むことを継続すること」「住むことを持続すること」と考えられ、後でもう少し詳しく説明しようと思いますが、「住む」ということは、「生きる」ということそのものだと考えていけば、生を共にすることを持続させること、これが「住もう」「住まう」ということだろうと思います。
「う」が付いて、「住まう」という新しい動詞になってしまったわけです。そうすると「住まう」という動詞の連用形は「住まい」になります。「住まう」「住まわない」「住まい」となりますが、連用形というのは、そのものがそれだけで名詞に変化することはご存じのとおりです。「動く」というのが「動きます」、「動き」というのが「動きが鈍い」という名詞になりますので、「住まう」という動詞がそのまま、その「住まう」という動詞の連用形が名詞になるわけです。「住まい」。
住まいというのは一体どういうところなのかというと、落語の定義によりますと、「食う寝るところ住むところ」というのが住まいの定義です。つまり、人間の生命活動の原点、拠点ということになるかと思います。「食べるところ」「寝るところ」という意味です。簡単に言ってしまえば、動物にとっての巣ということになるかと思います。生命の営みを共にする拠点としての人間の巣、これが住まいだということになるのではないかと思います。
ところが営巣活動、つまり、巣をつくる人似猿、つまり類人猿は人間しかいません。チンパンジーもゴリラも巣をつくりません。転々として樹木を渡り歩くのです。戻らない、巣をつくらないものにはノミは寄生できません。いいですね、ノミというのは寄生主、寄生するものの汚物に卵を産み付けて、卵からかえったときに、その寄生主にポンと飛びつこうとしたときに、寄生主がもういなくなっていると、寄生できないのです。従って、ノミは寄生主とともに発達していますので、人ノミ、犬ノミ、猫ノミ、全部違います。では、ノミが寄生できる動物はどういう動物か。それは狩りをする動物です。狩りをする動物が巣をつくるのです。人似猿といわれているチンパンジーにしろ、ゴリラにしろ、木の実を食べているわけですから、狩りはしません。
目の色も、天然色というか、カラーで見えます。見分けなくてはいけないからです。この果物は毒か毒ではないか。それに対して、猫の目、犬の目、狩りをする動物の目は白黒です。その代わり、動きをつかまえます。狩りをしなくてはいけませんから。
ところが、人間という人似猿、類人猿は狩りをするようになりました。これはあるとき、アフリカで生まれるわけですが、アフリカのジャングルが小さくなったときに、人間というネオテニー(幼態成熟)、お母さんのおなかにいたときに、ちゃんと生まれるべくして生まれないで早く出てきたというものが、草原に落とされてしまうわけです。すると、森がなくなったときですので、木の実がありません。そこで狩りをするようになるのが人間です。人間というのは幼態成熟、成体でお母さんのお腹から出てこないで、幼態のまま出てきてしまった。だから、毛皮の標本がありますね。クマの毛皮の張り付けたものです。人間をああいうふうにした状態で見てください。異常です。毛が全身にないです。部分的にしか生えていないです。これは幼態成熟だからです。幼態のまま出てきているからです。
しかも、赤ちゃんはお母さんのおなかの中で、脊椎動物はもう一回90度に反転して出てくるはずなのに出てこないので、四つんばいで歩こうとすると下を見て、歩けないわけです。もう一回ぐるっと回していないのでできないというのが人間です。
狩りをするようになるのですが、同時に、一つだけいいことがありました。成体で出てきてしまうと、生まれてから脳細胞が発達しないのです。成体なのですから。幼態で出てきていますから、生まれてからまだ脳細胞がどんどんどんどん学習するといういいことがあって、人間はホモサピエンス、知恵のある動物として出てきます。従って、「人間というのは狩りをする猿だ」と考えていただければいいわけです。
狩りをする猿が巣をつくるようになるわけですが、従って、狩りをする猿だからこそ巣をつくって巣に戻ってきます。狩りをする動物は巣に必ず戻ってきます。一匹狼と言われますが、狼も遠いところまで行って、狩りをしてきても、必ず巣に戻ってきて子供たちや自分の家族のために食べ物を吐き出して食べさせるわけです。巣をつくるからです。戻ってきますから、ノミも犬ノミとして住むことができるわけです。
さて、その狩りをする私たち人間、人似猿は、徐々に徐々に頭を使いながら狩りをして、採集、つまり、植物を単に採るということだけではなく、農耕を始めるわけです。このときに大きく変化しまして、一つは先ほどお話ししましたように、ヨーロッパの美しい牧草地帯、田園風景のような牧草をつくり上げていく文化と、それから、今、私たちが目にしているこのとなみ野の水田文化と二つに分かれます。
どこが違うのか。牧草文化は、森を破壊しているのです。森を破壊して牧草をつくっています。ヨーロッパの森はスカスカです。雨量が全然ないからです。地下水も砂漠ほどでもないですが低い上に、森がスカスカですから、森をすぐ崩せますので、森を破壊して牧草地にして、「あ、美しい田園風景」となります。日本の森は、繰り返すようですが、一部はもう人間が足を踏み入れるのを拒否しますから、とても入れません。
そこで、私たちは地下水の高さを利用して水田を行うわけです。水田は自然破壊的ではありません。先ほどの砂漠の方を見ていただきますと、砂漠はメソポタミアの砂漠を見ていただいても、あれは緑でした。メソポタミアは二つの川の流れる間の土地という意味ですが、緑だったのに、畑作で連作をして、砂漠にしてしまうのです。ところが、日本のやっている水田は、自然破壊的ではありません。何回でも作物をつくることができます。
それはなぜか。秘密は水です。水を回しているということです。今、世界の中で最も古い水田はインドに残っていて、8000年持っています。そのぐらい持つのです。では、水をどのようにして回すのかというと、その回す秘密は、森林です。緑の森林があって初めて水というのは回せるのです。従って、水と森林はセットです。
私の家は代々神々に仕えてきましたけれども、日本の神道では、木を切ることと井戸を埋めること、この二つを禁止しています。言い換えれば、森林を破壊する文化と、森林とともに生きる文化と言ってもいいのではないかと思います。
文化というのは生活様式のことです。カルチャー、耕すことと同じ意味ですから、農耕という意味でもいいです。このとなみ野を見て日本の農業の原風景だとすれば、そこに私たちは日本の自然の特色などを見て、その自然とともに生きていく人間の営みを見ることができます。それは、一つは多湿で、湿度が多いです。とにかく、ただでさえ湿度が多いから、森がもやもやしているから森がわっとできます。それから、繰り返すようですが、扇状平野につきますので、そもそも下から湿気が出てくるわけですから、湿気が高い。さらにもう一つ、実は住文化を決定づけるのは地震です。
冬と夏というのは四季があって非常に厳しいものですので、風と緑と、さらに実はこの森林は水とも関係しているはずなので、カイニョというのは、水と緑ともう一つ水の流れも入れたかもしれません。ただ、この水の流れというのはよく見えません。大切なものは目には見えないのですが、地下を流れているのです。地下を流れていますので、それに規定されているということになります。
私たちの生活様式というのは、先ほど言いましたように、砂漠もそうですし、それからヨーロッパの田園風景もそれぞれの自然の顔、特色に規定されながら生活様式の文化ができていますが、高温多湿と豪雪という四季が非常に激しいこの富山の土地に、日本の「住まう」という原点を見いだそうとすると、いくらでも見いだすことができます。
まず、屋根があるということです。しかもその屋根は角度を持っていて、先ほど、市長は切妻とおっしゃいましたが、五箇山は完全に切妻ですが、この辺ですと、寄棟と混在しているはずです。寄棟もかなりの建物としてあるはずです。ただし、もう一つ日本の屋根の文化として持っている入母屋、これは京都の文化ですので、富山でいくと氷見で終わるはずです。つまり、富山が境になって、京都の入母屋がなくなって、切妻や寄棟がずっと東北にかけて出てくるということになります。これは、夏、冬の厳しさが影響しているとお考えいただければと思います。
私たちは今、日本の原風景や日本の生活の原点を全部否定しようとしていますので、ご存じのとおり、屋根もなくすというのが日本の近代化の過程です。フラットルーフ。ビルなど見ていただくと完全に屋根がないのです。屋根のない生活様式というのは、雨の降る日本のようなところでは、存在し得ません。皆さんがマッチ箱のように屋根のない住居はどこにあるかなと考えていただくと、エーゲ海などは白いマッチ箱のよう、それからアフリカ、見ていただければ、マッチ箱のようにフラットルーフなのです。何でフラットルーフなのか、雨が降らないからです。雨の降る日本でフラットルーフをやったらどういうことになるかというと、雨漏りがもうめちゃめちゃになるはずです。第一、上も汚いです。しかし、日本では平気で、ビルだから屋根をつくってはいけないのではなくて、スウェーデンなどはみんなビルでも屋根を持っていますから、屋根というのは重要なポイントなのですが、屋根も否定してしまう。今まで日本の持っていたいいものを否定するようなことになるわけです。
上もそうですが、もう一つ、構造が決定的です。日本の建物の構造というのは柱です。柱構造です。壁ではないのです。スウェーデンはみんな壁構造ですから。柱構造です。大黒柱があって、ここでは、パンフレットを読みますと、上大黒、下大黒、という二つのあれで支えるのですが、いずれにしても、石を置いておいて、そこに柱をつって、つり上げるという、やじろべえのような構造で、地震にも強いわけです。やじろべえみたいな構造になりますから。そういう構造をつくっていくというのが外観上の特色です。壁の文化ではなく、柱の文化になっているということです。
それからもう一つ、中を見てもらえれば分かりますが、履床様式になっています。履床様式とは、上下足分離、つまり靴を脱いで床の上に上がる、土間は働く場所ですから床と区別し、床には土足で上がらない、この文化を持っているのは世界的に日本と朝鮮とタイだけですね。これは上下足を分離した方が衛生的できれいに決まっているのに、寝室まで土足のまま入っていく。衛生的でなくて汚いのですが、これは誇るべきもので、どんどんどんどん日本のいいところを否定していますが、ここだけは残しておく必要があるかなと思います。
ヨーロッパの人々の感覚では、靴というのは上着です。靴を脱ぐというのは上着を脱ぐことなので、それは失礼に当たるということになるわけです。日本では、靴下、正確には足袋です。これは下着です。従って、足袋というのは下着なのですが、それでそのまま行動してもいいということになっていて、きちんと城内にお伺いするときでも、足袋でも構いません。日本ではこれは正装になっているわけです。
あとは、正装にカバーするものですから、当時スリッパはありませんが、下駄、それから、それをカバーするだけだという上下足分離、土間。それから茅を使うというのが実は、しかもこれは詳しくご説明しませんでしたが、上下足分離というのは高温多湿と豪雪と明確にリンクしているということ。それから床があって、スーッと空気を通すというのは、多湿と明確に分離しているということです。
すみません、時間がないので話をどんどん飛ばして申し訳ありませんが。スローライフというのは言うまでもないことですが、イタリアのスローフードから始まりますが、それぞれの地域に合った食の文化、それぞれの地域の自然に合ったものを取り戻していくという運動がスローフード運動であり、スローライフ運動です。
そうだとすると、私たち日本の自然と最もマッチした生活様式は一体どのようなものなのかということを、このとなみ野の自然の中から見いだして、それを原点として、私たちはもう一度日本人の生活を見直す必要があるだろうと思います。なぜなら、私たちは生きていく上でさまざまな妥協をしないと生きていくことができませんが、妥協というのはそれぞれの人が持っている点のようなもの。点というのは、面積も長さもありません。ただ、位置だけ示しているのです。それぞれの人間には、それぞれの人間の点があって、どのような職業をやっていて、どのようなことをやっていようとも、それは演技であって、その人をその人たらしめているもの、点のようなものがあるはずです。生きていく上で妥協は必要ですが、その妥協というのは、点を失わない限りにおいて行うべきであって、点を失ったら妥協でも何でもないということではないかと思います。
7番目のところに書いておきましたが、大地と水を母体にして、太陽がつくり出してくれる大気の流れ、風を利用して、命をつくり出すこと、これは葉緑素がないとできないので、水と大地とそれからCO2とでもって、生命をつくり出してくれるのは緑色植物だけです。あとは食物連鎖でそれをぱくっているだけですから。そういう緑と私たち、つまり、生きている自然と人間それ自体が共に生きていくということが、この原風景を見て「住まう」ことだというふうに分かるはずだと思います。
8番目で結論ですが、私たちはミダスの呪いに取り付かれています。ミダスの呪いというのは、ミダスの王様は「自分の望みは手に触れるものがみんな黄金になることだ」と思ったのですが、その願いがかなえられたとき、驚くべき事実に遭遇します。自分が食べ物に食べようと思って手を触れた瞬間、黄金になってしまう、自分の愛する娘に手を触れた瞬間に娘は黄金になってしまう。私たちが今、失おうとしているものみんなそうです。友情や愛情、そういったものをいつまでも失い続けるということになってしまうのですが、ミダスの呪いに取り付かれて、生命の源泉、葉緑素、緑と、そして私たち自身、人間と人間との絆、こういう生命の源泉を抑圧して破壊してはならない。二つの環境破壊、自然環境の破壊と人間環境の破壊をしてはならない。
「ホモサピエンス(知恵のある人)」として神が私たちをおつくりになったのは、その知恵を、命の、生命の文化、生活様式としての「住まう」ということを充実させ、開花させていくためではなかったのか。そのために知恵は使用すべきものではないかということを申し上げて、このとなみ野の原風景を見ながら、私たちの日本人が営んできた生活様式をもう一度見直して、人々と緑の自然、生きている自然とともに生きていくためにはどうしたらいいのかということを模索していく、そういう機会にできればと考えています。
時間が来ましたので、論理が飛躍してお分かりにくかったと思いますが、私のつたない話をこれで終わりにさせていただきます。どうもご清聴ありがとうございました(拍手)。
(司会) 神野先生、ありがとうございました。いつも神野先生のお話を聞くと胸が熱くなってしまうのですが、もっともっとお話を伺いたいところですが、続きはこの後、パネルディスカッションにも先生はご出席されますので、お聞きしたいと思います。
ここで会場を模様替えいたします。10分ほど休憩をさせてください。2時半から続きを始めたいので、少しご休憩ください。よろしくお願いいたします。