[スローライフ・フォーラムinとなみ野」全体会報告

2010年11月14日のフォーラム全体会の報告です。
ここではエッセンスにとどめますが、全体記録は下記のURLに4つに分けて掲載しています。ゆっくりとご覧ください。
○基調講演
http://www.slowlife-japan.jp/modules/bulletin1/index.php?page=article&storyid=22
○シンポジウム1
http://www.slowlife-japan.jp/modules/bulletin1/index.php?page=article&storyid=23
○シンポジウム2
http://www.slowlife-japan.jp/modules/bulletin1/index.php?page=article&storyid=24
○シンポジウム3
http://www.slowlife-japan.jp/modules/bulletin1/index.php?page=article&storyid=25

<全体会>「富山新時代―“住まうを考える」
基調スピーチ 神野直彦(東京大学名誉教授)
「となみ野に見る緑と絆と」
コーディネーター 増田寛也(野村総合研究所顧問)
パネリスト 石井隆一(富山県知事)
丸岡一直(社会福祉法人二ツ井福祉会理事長)
坪井ゆづる(朝日新聞論説委員・編集委員)
斉藤 睦(地域総合研究所長)
開会の挨拶 上田信雅(砺波市長)
閉会の挨拶 田中幹夫(南砺市長)
経過報告 川島正英(地域活性化研究所代表)
総合司会 野口智子(ゆとり研究所所長)



<基調スピーチ 神野直彦>
スウエーデンは、第二次大戦後に繁栄を見たが、農業国としては、終焉した。小農民、小商店、小さな学校など小さな世界は姿を消した。小さいものは儲けが少ないという理由から。
だが、この「幸福とは儲かる社会をつくること」こそ“ミダスの呪い“にほかならない。その後、スウエーデンは切り替えたのに、日本はなお取り付かれたままなのである。

日本の農村の原風景は、水の流れ、風、緑によってつくられる。見渡すかぎり畑がひろがるヨーロッパとは異る。ヨーロッパの牧草文化は、森を破壊してきたが、日本は水田文化で、森に足を踏み入れない。
「となみ野」も扇形の平野の上に。地下水の水位が高く、農耕を行い、農業が水と風と緑の生活様式をつくりあげてきた。四季がはっきり。高温多湿。屋根は切妻、また寄棟など「住まう」文化ができた。その「住まう」文化が壊れつつある。フラット屋根になった。
「住まう」は「住む」を持続する、生きることそのもの。となみ野でも、もっともマッチした生活様式をあらためて見出す必要がある。大地と水と風、それがつくりだす緑、ともに生きていくことが「住まう」である。
いまや、世は「ミダスの呪い」にとりつかれ、友情も愛情も損なわれていく。緑と人間の絆という環境を破壊してはならない。ホモ・サピエンスは、生命の文化、生活の様式を充実させ開花させていくために知恵を使う。日本をどう生きるのか。フォーラムが、その機会であってほしい。


<コーディネーター 増田寛也さん>
「となみ野」は景観がすばらしく、過疎の困難を乗り越えつつ、農業と味や祭りをまもり、住みごこちで全国最高の水準
を保ち、コミュニティのつながりも深い。
その上で、三つの分科会報告を基に、さらに富山、となみ野の魅力、特色を聞き、直面している過疎の問題点を問い、それに取り組む手立てと「住まう」文化を持続していく議論が必要だ。

中国からの観光客も、いまや銀座については上海との比較で
魅力を感じてなく、雪の白さ、野山の緑、温泉に魅かれている。工夫を重ね、次の世代へつなげている過疎の地域に、誇
りと自信をもとう。

<パネリスト 石井隆一知事>

「歴史と文化」も「水と緑」も好ましい方向にいっている。
「住んでみたい富山暮らしたい富山」事業三年の実績で定住者が500人、また観光の交流人口の拡大は外国客が5年間に55倍となった。
「となみ野」は、散居村の景観保全、井波・八日町通りのまちづくり住民協定などがすばらしい。また水と風と森が魅力だ。暖かい人情、暖かいコミュニティ活動が残されているのがいい。散居村は管理が大変でも先祖からの文化に誇りを持ち、生きがいと考えていこう。
※分科会でコーディネーターをつとめた三氏。その報告を基礎に置きつつ増田さんの質問に答えて強調した意見は――。

<パネリスト 丸岡一直さん>
利賀をはじめ、となみ野は自分たちでつくりだしたすばらしい住まいを持ち、がんばりがあって移り住む人も出ている。応援する人たちもいる。むしろ、見習うべきところが多い。
あえていえば、問題を抱えて次から次へ、ではなく、立ち止まってみる、そんな時間が必要ではないか。

<パネリスト 斉藤 睦さん>
この土地の言葉での「あじゃあじゃ」という生き方がすばらしい。あいまいさ、グレイなところが、となみ野らしい“一本締め”でない。思い思いに。
あずまだちの住まいも一挙ではなく、何世代にもわたって、骨格、天井、欄間、台所・・と仕上げていく。そのつながりがいい。この散居村を、どう住むか、どう残すか。若い世代の意見をもっと聞くべきだろう。

<パネリスト 坪井ゆづるさん>
井波の文化は、飾らないが一つ一つ積み重ねてきた。味もそうであって、外の人は驚く。同様に進歩、科学などの近代を動かしてきた言葉に、もはや魅力を感じなくなったのであり、取り残されていると思われる「となみ野」などが魅力の核心にある。
提案の一つは“一流の田舎”をつくろう。もう一つは、行政、公共に頼らない、例えば“散居村の足もコミュニティ・バス”でというような発想。


※となみ野らしいチューリップで飾られた会場で、たくさんの皆さんが聞き入ってくださいました。”