十津川村・野迫川村を知った「さろん」

今年11月23・24日に奈良県吉野郡川上村で「スローライフ・フォーラム」が開かれます。(「南部地域産業復興推進大会in水源地のむら~紀伊半島大水害からの復興に向けて~」の一環として)それに向けての「さんか・さろん」の奈良シリーズが始まりました。
東京・日本橋にある奈良県の情報発信基地「奈良まほろば館」に7月16日(火)約50人の方々が集まりました。この日のテーマは「“むらの詩情と慕情~奈良県十津川村、野迫川村を歩く~」。


世界遺産「大峯奥駈道・熊野参詣道小辺路」の語り部「十津川鼓動の会」の阪口弘子さん。さだまさしさん作詞・作曲の十津川中学校校歌『千年の祈り』を紹介しながら、その詩を縦軸に村を紹介されました。
詩の一節を引用しながら、十津川村の小辺路、玉置神社、かけ流しの豊富な温泉、雨が降ると出現する幻の滝、村で一軒の鍛冶屋さん、小さな田んぼ、集落の祭りなど、美しい写真をもとに、まさしく語り部として紹介を。まるで村にうかがったような気持ちになりました。

「V字谷の地形をもつ十津川村には、吊り橋が70位あります。生活の道なので、高いところが怖くても渡らなくてはなりません。おばあちゃんでもいまだに『こんなおどろしいところすかん』などといいます」
「でも、吊り橋は観光ポイント。その昔、集落の人々が自らお金を出して造った“谷瀬の吊り橋”は有名で年間15万人の人がきます。ぜひ渡りに来てください」

「十津川村の川の水はとても清らかです。幼い頃『メダカを飲むと泳ぎが上手になる』と先輩に言われ、幼いときにメダカを良く飲みました!(笑)」
「むらの暮らしは不便ですが、それを皆が当たり前のように過ごしています。十津川郷士の歴史もあります。さだまさしさんが詩の中で、『この志 高く高く高く』と3回も繰り返したのがわかります」

参加者には十津川村から、名物のゆべし(柚子に味噌を詰めて乾かした保存食)が振舞われました。初めての方も多く、「おいしいスローフード」「塩分補給に食べたい」などの反応が。
刺身コンニャクなどもお土産に。

“天空の村”と呼ばれるほど標高が高い、人口500人弱の野迫川村(のせがわ)、村長の角谷喜一郎さん。ワサビ、高野マキ、マツタケ、凍り豆腐などの産物や、星、蛍、雲海などの自然、荒神社、平家の落人伝説などの歴史・史跡など、熱く、熱く語られました。
「役場にはエアコンはありません。夏の冷房はいりません。その分、9月~6月までは、ストーブが必要。山に囲まれているので、空が丸く見えます。その空に毎年“平維盛の大祭”で花火を上げます」
「村では今、小学生が17名、中学生が3名です。3年前から準備して今年から小中連携一貫教育を始めました。野迫川の子はみんな村を愛してくれています。自立心があります」

「何もない村ですが、野迫川の風を自分の肌で感じていただいて、何もないのもいいなあと思っていただければと思います」

野迫川村の産物、高野マキは活けていると水が腐らない夏場ももつ。緑と香りがさわやか。仏壇だけでなく、普段の暮らしに活用をしてほしいと提案中。スローライフ学会会長・増田寛也さんに村長からプレゼント。会場の演台の上にも高野マキの緑が飾られました。

お2人と会場との意見交換。「十津川中学の校歌を歌ってみてください」「十津川村にうかがえば阪口さんにご案内いただけますか?」「合併しないで村をぜひ持続して欲しい」「むらの暮らしを守るには、外の人の力や知恵も借りて。まずは交流から」などの意見が。
十津川村も野迫川村も一昨年の紀伊半島大水害の被害を受けました。まだ仮設住宅で暮らす角谷村長が「災害にあって、さすがにこのときは、なんで都会に生まれなかったのか?とみんな考えました」と語りました。
でも、お2人のお話をうかがって、それでもやっぱり奈良県南部の“むらの暮らし”を選ぶ、その理由が、尊さが分かったように思います。”